嘉南大圳(かなんたいしゅう)
嘉南大圳(かなんたいしゅう、拼音: Jianán Dàzùn )は、元の名を官佃溪埤圳といい、日本統治時代の最重要な水利工事の一つであり、台湾総督府の技師八田與一が設計し、工程には当時東南アジア最大だった烏山頭ダムも含んでいた。
1920年9月に土木工事を興し、当時の嘉義庁、台南庁(現雲林、嘉義、台南等の県市)地区を灌漑区域とした。1930年4月、総工費5,414万円をかけて竣工し[1]、嘉南平原の水田は30倍と大幅に増加した。
概要
1920年から1930年にかけて工事は広範囲にわたって行なわれることから、その工事には工事用軌道も敷設された。先ず烏山頭ダムが建設され、その後水路が開削されて曽文渓と濁水渓二つの水系を接続している。烏山頭ダムで取水された後、北幹線と南幹線に分かれる。北幹線は烏山頭より北に向かい、急水渓、八掌渓、朴子渓を越えて、北港渓南岸に至る。南幹線は南に向かって官田溪、曽文溪を越えて台南市善化区に至る。また烏山頭ダム以外に濁水渓にも3箇所の取水口が設けられており、それぞれ林内第一取水口、林内第二取水口と中囲子第三取水口がある。林内第一取水口から取水したのが濁幹線で、旧虎尾渓の左岸に沿って南に向い北港渓に至り、北幹線と接続されている。
参考文献
- ^ 王萬邦『台灣的古圳道』 遠足文化、2003年、ISBN 9572856103