南樺太
南樺太は、日本施政下においては樺太と呼ばれる行政区画であった。地方行政官庁として樺太庁が設置され、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年(昭和17年)に外地から内地へと編入された。人口は1945年(昭和20年)当時、約40万人であった。当時の主要な産業は漁業、農業、林業と製紙・パルプなどの工業、石炭・石油の採掘業など。南樺太の中心都市は、樺太庁の置かれた豊原市(ユジノサハリンスク)。現在は稚内港より船で渡航が可能。船で行く場合3日間以内に限りビザなしで滞在が可能。その他に空路も利用可能。