台湾の教育

 

台湾で抗日武力闘争が発生していた時期、総督府は武力による鎮圧以外にその統治体制を確立し、教育の普及による撫民政策をあわせて実施した。台湾人 を学校教育を通じて日本に同化させようとした。初等中等教育機関は当初、台湾人と日本人を対象としたものが別個に存在し、試験制度でも日本人が有利な制度 であったが、統治が進むにつれ次第にその差異は縮小していった。台湾に教育制度を普及させた日本の政策は現在の台湾の教育水準の高さに一定の影響を与えて いる。

初等中等教育

1895年7月14日、台湾総督府は初代学務部長に伊沢修二を任命し台湾における教育政策を担当させた。伊沢は日本内地でも実現していなかった義務教育の採用を上申し、総督府もその提言を受け入れて同年、台北市芝山岩に最初の近代教育を行う小学校(現在の台北市士林国小)を設置、義務教育の実験校とした。その後六氏先生事件なども発生したが、総督府は教育政策を推進し、翌年台湾全域に国語伝習所を設置するなどの教育機関の拡充に努めた。1898年、国語伝習所は公学校に昇格している。

皇太子裕仁親王台南第一中学校行啓、これが日本人を対象した中学校(現・台南二中

当初、台湾の初等中等教育制度は台湾人と日本人を対象とするものが別個に存在していた。内地人(日本人)の初等中等教育は、内地に適用されるのと同じ教育法令に基づいて設置される小学校および中学校、本島人(台湾人)のそれは、台湾教育令に基づいて設置される公学校および高等普通学校によってそれぞれ担われていた。

しかし1929年になると台湾教育令を改正し、中等教育については高等普通学校が廃止、中学校に一本化され、台湾人と日本人の共学制が採用された。同時に初等教育においても「内地人」、「本島人」という民族による区分が廃止され「日本語を常用する児童」が小学校に、「日本語を常用しない児童」が公学校に入学することとなった。

1941年3月、台湾教育令は再度改正が行われ、小學校、蕃人公学校と公学校を統合し国民学校(一部は蕃童教育所として統一された。これにより台湾の教育制度は完全に統一され、特殊な原住民を対象とする教育以外、中央あるいは地方財政で学校が運営され8歳以上14歳未満の学童に対し6年制の義務教育が行われるようになった。

台湾人の就学率は当初緩慢な増加であったが、義務教育制度が施行されると急速に上昇、1944年の台湾では国民学校が944校設置され、就学児童数は876,000人(女子を含む)、台湾人児童の就学率は71.17%、日本人児童では90%を越える世界でも高い就学率を実現した。

日本統治時代の就学率一覧 (『台湾省51年来統計提要』1,241ページ)
年代 1904年 1909年 1914年 1920年 1925年 1930年 1935年 1940年 1944年
台湾人学童 3.8% 5.5% 9.1% 25.1% 27.2% 33.1% 41.5% 57.6% 71.3%
日本人学童 67.7% 90.9% 94.1% 98.0% 98.3% 98.8% 99.3% 99.6% 99.6%