イギリス領(インド)

 

インドの植民地化
1837年のインド

1498年にヴァスコ・ダ・ガマがカリカットへ来訪し、1509年にディーウ沖海戦(英語版)でオスマン帝国からディーウを占領し、1511年にマラッカ王国を占領してポルトガル領マラッカ(英語版)を要塞化することによって、ポルトガルはインド洋の制海権を得た。このことを契機に、ポルトガル海上帝国は沿岸部ゴアに拠点を置くポルトガル領インド(1510年-1961年)を築いた。1623年のインドネシアで起きたアンボイナ事件でイギリスはオランダに敗れ、東南アジアでの貿易拠点と制海権を失い、アジアで他の貿易先を探っていた。そのような状況で、ムガル帝国が没落しイギリス東インド会社とフランス東インド会社が南インドの東海岸に進出することになり、貿易拠点ポンディシェリをめぐるカーナティック戦争が勃発した。1757年のプラッシーの戦いでムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍が敗れた結果、イギリス東インド会社がベンガル地方のディーワーニー(行政徴税権, Diwani Rights)を獲得したことを皮切りに、イギリス東インド会社主導の植民地化が進行した。1760年のヴァンデヴァッシュの戦い(英語版)でフランス東インド会社がイギリス東インド会社に敗れ、翌1761年にパーニーパットの戦い(英語版)でマラーター同盟がドゥッラーニー朝アフガニスタンに敗北すると、イギリス東インド会社は一連のインドを蚕食する戦争(マイソール戦争・マラーター戦争(英語版)・シク戦争(英語版))を開始し、実質的にインドはイギリス東インド会社の植民地となった。

19世紀前半にはイギリスの対インド貿易は自由化されると同時に、産業革命の影響でイギリスから機械製綿織物がインドへ流入し、インドの伝統的な綿織物産業は破壊された。さらに、1824年の英蘭協約でイギリスがマラッカ海峡の制海権を確立すると、インドで栽培されたアヘンを中国へ輸出するためのアヘン戦争が行われて三角貿易体制が形成された。近代的な地税制度を導入してインドの民衆を困窮させた一方で、タタ財閥等が誕生するなどした。

インド大反乱(1857 – 1858)をきっかけにして、イギリス政府は1858年インド統治法(英語版)を成立させてインドの藩王国による間接統治体制に入り、バハードゥル・シャー2世をビルマに追放してムガル帝国を滅亡(1858年)させた。

その後、旱魃によるオリッサ飢饉・ラージプーターナー飢饉・ビハール飢饉(英語版)・大飢饉(英語版)(イギリス統治期間のインド主要飢饉の時系列(英語版))が続けて発生し、藩王国からイギリス直轄領に人々が移動したため支援に多額の費用を出費する事態になった。藩王国の統治能力を見限ったイギリス政府はインドの直接統治体制に切り替えることになり、1877年にイギリス領インド帝国が成立した。
イギリス統治時代

インド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けた。1896年にボンベイ(現ムンバイ)でペストの感染爆発(英語版)が発生した際に強硬な住民疎開を実施したイギリスの伝染病対策官が翌年に暗殺された。この時、関与を疑われたロークマンニャ・ティラクが逮捕され、出所後に「スワラージ(英語版)」(ヒンディー語: स्वराज)を唱えた。

イギリスはインド統治に際して民族の分割統治を狙って1905年にベンガル分割令を発令したが、かえって分割への憤りなどから反英機運が一層強まった。イギリスはさらに独立運動の宗教的分断を図って1906年に親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させたものの、1911年にはロークマンニャ・ティラクなどのインド国民会議の強硬な反対によってベンガル分割令の撤回を余儀なくされた。

第一次世界大戦で、自治の約束を信じてイギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたことや、日露戦争における日本の勝利(非白人国家による白人国家に対する勝利)などの影響を受けたこと、民族自決の理念が高まったことに影響され、ビルラ財閥などの民族資本家の形成に伴いインドの財閥が台頭し民族運動家を支援したことから、インドではさらに民族運動が高揚した。1916年にはムハンマド・アリー・ジンナーら若手が主導権を握った全インド・ムスリム連盟がインド国民会議との間にラクナウ協定(英語版)を締結し、「全インド自治同盟(英語版)」(Indian Home Rule Movement)が設立された。

1919年4月6日からマハトマ・ガンディーが主導していた非暴力独立運動(サティヤーグラハ(英語版))は、1919年4月13日のアムリットサル事件を契機に、それに抗議する形でそれまで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させ、1930年には塩の行進が行なわれた。ガンディーの登場はイギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。第二次世界大戦では国民会議派から決裂したチャンドラ・ボースが日本の援助でインド国民軍を結成し、独立をめざす動きも存在した。
独立